Toshusai Sharaku, 東洲斎写楽
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東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく、生没年不詳)は、江戸時代の浮世絵師。1794年にデビューし、およそ10か月の間に約140点の錦絵を描いて、その後消息を絶った。
三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛
写楽の作品はほとんどが役者絵である。描かれた役者と役柄から上演時期が判明しており、役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている(挿図の右下方に富士に蔦の「蔦屋」の印が見える)。
第1期が1794年5月(28枚)、第2期が1794年7月・8月、第3期が1794年11月・閏11月、第4期が1795年1月、に当たる。写楽の代表作とされるものは第1期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。このほかに相撲絵なども残している。
大正時代にドイツの美術研究家クルトが、写楽はレンブラント、ベラスケスと並ぶ三大肖像画家と激賞し、日本でも再評価されるようになった。
ところで『江戸名所図会』などで知られる斎藤月岑(1804年-1878年)が写楽の本名は阿波(蜂須賀家)の能役者斎藤十郎兵衛であると書き残しているが(『浮世絵類考』への加筆)、十郎兵衛の実在が中々確認できなかったことから、誰か有名な絵師の変名ではないかということで、「写楽別人説」が唱えられた。
蔦屋が無名の新人の作を多く出版したのは何故か、短期間に活動をやめてしまったのは何故か、などといった点が謎解きの興味を生み、別人説の候補として、浮世絵師の葛飾北斎、喜多川歌麿、作家十返舎一九、朝鮮人絵師金弘道など多くの人物の名が挙げられた。
しかし近年の研究によって、斎藤十郎兵衛の実在が確認され、別人説は弱まっている。
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