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Above is just a small part of our gift-packed souvenir stamp-collection; inquire by email if the picture or subject of your interest is not here: we will be obliged to accomodate your wishes. ここに掲載の写真は一部のみです。ご希望のジャンル、絵柄などございましたらお問い合わせください

人間によるウマ利用の歴史
Equus(エクウス:ウマ属)の学名で呼ばれるウマやロバの直接の先祖は、200万年前から100万年前にあらわれたと考えられている。ヒトは古い時代からウマを捕食し、あるいは毛皮を利用していたことが明らかにされており、旧石器時代に属するラスコーの洞窟の壁画にウマの姿がみられる。純粋な野生のウマは、原産地の北アメリカを含め、人間の狩猟によりほとんど絶滅した。
紀元前4000年から3000年ごろ、すでにその4,000年ほど前に家畜化されていたヒツジ、ヤギ、ウシに続いて、ユーラシア大陸で生き残っていたウマ、ロバの家畜化が行われた。これは、ウマを人間が御すために使う手綱をウマの口でとめ、ウマに手綱を引く人間の意志を伝えるための道具である銜(はみ)がこの時代の遺物として発見されていることからわかっている。同じく紀元前3500年ごろ、メソポタミアで車が発明されたが、馬車が広く使われるようになるのは紀元前2000年ごろにスポークが発明されて車輪が軽く頑丈になり、馬車を疾走させることができるようになってからである。
馬車が普及を始めると、瞬く間に世界に広まり、地中海世界から黄河流域の中国まで広く使われるようになった。これらの地域に栄えた古代文明の都市国家群では、馬車は陸上輸送の要であるだけではなく、戦車として軍隊の主力となった。また、ウマの普及は、ウマを利用して耕作を行う馬耕という農法を生んだ。
一方、メソポタミアからみて北方の草原地帯ではウマに直接に騎乗する技術の改良が進められた。こうして紀元前1000年ごろ、広い草原地帯をヒツジ、ヤギなどの家畜とともに移動する遊牧という生活形態が、著しく効率化し、キンメリア人、スキタイ人などの騎馬遊牧民が黒海北岸の南ロシア草原で活動した。騎馬・遊牧という生活形態もまたたくまに広まり、東ヨーロッパからモンゴル高原に至るまでの農耕に適さない広い地域で行われるようになった。彼ら遊牧民は日常的にウマと接し、ウマに乗ることで高い騎乗技術を発明し、ウマの上から弓を射る騎射が発明されるに至って騎馬は戦車に勝るとも劣らない軍事力となった。遊牧民ではないが、紀元前8世紀にアッシリアは、騎射を行う弓騎兵を活用して世界帝国に発展した。中国では紀元前4世紀に北で遊牧民と境を接していた趙の武霊王が胡服騎射を採用し、騎馬の風習は定住農耕民の間にも広まっていった。さらに4世紀の中国で騎乗者の足や腰を安定させるための鐙(あぶみ)や鞍(くら)が発明され、8世紀のヨーロッパで硬い土の上で長時間疾走させても蹄を痛めないようにするための蹄鉄が普及して、乗馬技術はより容易に習われるようになり、非遊牧民の間でも、西ヨーロッパの騎士や日本の武士のような騎兵を専門とする戦士階級が生まれた。
15世紀から16世紀に進んだ火薬・銃の普及による軍事革命は騎士階級の没落を進めたが、騎兵の重要性は失われず、また物資の運搬にもウマは依然として欠かせなかった。各国は軍馬に適したウマを育成するために競馬を振興し、競馬を通じて馬種の改良が進められた。20世紀に至り、2度の大戦を経て軍事革新が進んで軍馬の重要性は急速に失われていったが、軍隊、警察においては儀典の場で活躍している。さらに競馬・乗馬は娯楽、スポーツとして親しまれ、世界では現在も数多くの馬が飼育されている。
日本の馬
縄文時代の貝塚から発見されたウマの骨は、その後のフッ素年代法による研究で、鎌倉時代のウマを深い穴の中に埋葬した結果、貝塚の中から発見されたのではないかとする説が有力となっている。『魏志倭人伝』では倭国には馬はいないとの記述がある。一方『日本書紀』によると、日本の馬産の歴史は、神功皇后の時代に大和朝廷が朝鮮半島を攻め(三韓征伐)、降伏した新羅王を日本に連れ帰って馬飼いに貶めたことからはじまり、このときに大陸の馬産・育馬の技術が伝えられたという。高千穂地方には、これより以前の神代の時代の神武天皇が龍石という馬に乗っていたとか、垂仁天皇の時代に野見宿禰が馬の埴輪を作ったとか、日本武尊も東征に際して馬に乗っていたという伝承も存在するが、馬産に関しての証拠はない。
現代のサラブレッドなどに比べるとかなり小型のポニー程度である乗馬可能のウマが古墳時代の480年ごろ、大陸から持ち込まれたと考えられている。具体的に馬事文化存在の証拠が現れるのは、応神天皇・仁徳天皇の陵墓の副葬品として馬具が出土する4世紀ごろである。しかしその数は少なく、実際に馬具や馬が使用されたというよりは、権力を示す稀少品のひとつとして扱われたと考えられる。5世紀中ごろになると馬型の埴輪が登場し、古墳の副葬品も鞍、轡、鐙などの馬具の出土も増えることから、日本ではこの頃から馬が普及したと考えられる。
大化の改新(646年)による一連の制度の整備によって、駅馬・伝馬といった通信手段としての乗用馬が設立され、各地に馬牧も開かれた(ただし去勢の技術は導入されなかった)。当時律令制のモデルであった大陸の唐朝は、遊牧民出身の軍事集団が政権中核の貴族層を構成し、その軍事制度も遊牧民の軍制を色濃く継承していたため、律令制の導入は最先端の軍事技術としての馬文化の導入という性格も有していた。8世紀の文武天皇の時代には、関東に大規模な御料牧場が設けられ、年間200〜300頭規模の馬産が行なわれていた。これが明治時代の下総御料牧場の前身である。ただし牧場や馬産といっても、大陸の遊牧民、牧畜民によって発達し、現在も行なわれているような体系的なものではなく、大規模な敷地内に馬を半野生状態で放し飼いにして自由交配させ、よく育った馬を捕らえて献上するというやり方だった。この方法は、優れた馬ほど捕らえられ戦場に送り込まれることになり、劣った馬ほど牧場に残って子孫を残し、優れた馬ほど子孫を残しにくくなるため、現代の馬種改良とは正反対の方法だった。
平安時代には、いわゆる競馬が行われていたというはっきりとした記録があり、盛んに行われていた。「競馬式(こまくらべ)」、「きおい馬」、「くらべ馬」、「競馳馬」等と称して、単に馬を走らせて競う走馬、弓を射る騎射などが行なわれ、勝者と敗者の間では物品をやり取りをする賭け行為も行われている。この競馬の起源は尚武(武術の研鑽)にあったと考えられるが、平安時代を通じてもっぱら娯楽へと変遷したと考えられる。一方、宮廷儀礼として様式化された「競馬」はやがて神社にも伝わり、祭礼としての競馬も営まれるようになった。このなかでは、賀茂別雷神社(上賀茂神社)で毎年五月に行われる賀茂競馬が有名である。賀茂競馬は古代から中世を通じて継続し、応仁の乱による荒廃の際でも万難を排して開催され、日本の馬事文化における極めて伝統的な行事として確固たる地位を築いている。
10世紀に武士が誕生すると、大鎧を着て長弓を操る武芸、いわゆる「弓馬の道」が正当な武士の家芸とされ、朝廷や国衙による軍事動因や治安活動は、この武士の騎馬弓射の戦闘力に依存するようになった。彼ら平安時代中葉から鎌倉時代にかけての武士の馬術への深い関心は、軍記物語に記された一ノ谷の戦いで馬に乗ったまま崖を駆け下りた源義経の鵯越え(ひよどりごえ、なお畠山重忠は馬を背おって下りたという)などの逸話によって多くの日本人によく知られている。馬事はふたたび武術としての性格をもちはじめ、武士のたしなみとして「競馬」、騎射、流鏑馬、犬追物などが盛んになり、やがて鎌倉競馬として厳格に体系化された。また、領主としての土着性が強かった初期の武士にとっては、馬が排出する馬糞は自己が経営する農地の肥料としても貴重なものであった。
この武士による競馬の伝統は中世を通じて維持され、政治史にあわせた盛衰はあるものの江戸時代中期まで続いた。特に徳川家康、徳川家光、徳川吉宗らは武芸としての馬事を推奨し、江戸の高田に馬術の稽古場をつくったり(高田馬場)、朝鮮や中国から馬術や馬を取り入れた。
一方、馬産に関しては、鎌倉時代・室町時代を通じて続く戦乱期には、優れた馬ほど武士に召し上げられて死ぬことにより、馬種の改良は進むというよりは、むしろ後退する有様だった。源義経の愛馬として名が残る青海波は体高が約140センチで大きな馬であったと伝えられるが、このサイズは現在のサラブレッドの平均的な体高である160〜170センチと比べるとかなり小型である。ただし、モンゴルのような内陸ユーラシアの遊牧民の優秀な軍馬が必ずしも大型馬ではなく、小型馬であることも多かったことも考慮する必要はある。室町後期、戦国時代になると、優秀な馬を大量に育成することが戦国武将の重要な関心事となる。下北の蠣崎氏は15世紀から代々モンゴル馬を輸入したといわれており、薩摩の島津貴久や、南部駒の産地を支配した伊達政宗は、ペルシャ種馬を導入して在来種の改良を行った。しかし、全体としての馬産の方法論は前時代のままであり、淘汰による体系的な品種改良という手法は導入されていない。江戸時代の征夷大将軍、徳川吉宗は長崎の出島の貿易でオランダ商人からアラビア種の馬を輸入し品種改良しようとした。
関東の御料牧場は、戦国時代に関東を制覇した北条氏政によって整備され、上総・下総の広い地域にまたがっていた。これを監督していた千葉氏は後に豊臣氏に滅ぼされて新領主である徳川氏の直轄地域(千葉野)となり、同氏が幕府を開いた江戸時代に入ると代官が設置されて最盛期には年間2000〜3000頭規模の馬産を行った。
ところで、江戸期の太平の時代になると、軍馬としての馬の需要は減り、一方で市民経済の発展に伴って荷馬に用いられるものが増えてきた。西洋とは異なり日本では馬車は発達せず、馬に直接荷を背負わせる方法が主流であったため、背丈の高い馬よりも、荷を乗せやすい背丈の低い馬が好まれた。また、農馬は田の耕作や馬糞を田畑への肥料とするため飼養された。このごろの馬の平均の体高は僅か130センチほどであり、現代の乗用馬の基準からいくとかなり小型であり、中には昔話に馬を背中にくくりつけ、かついで山を下りる話もあるくらい小さな農馬もいたらしい。明治維新以降に軍馬の改良をすすめ日本在来馬の禁止など施策を計る。昭和20年(1945年)、連合国軍最高司令官総司令部指令により馬の施策、研究、団体の解散実施される。現在では日本在来馬は8種のみとなった。
昔から馬を大切にしていた地方では現代でも、馬は「蹴飛ばす」=「厄を蹴飛ばす縁起物」などと重宝しているところもある。



The above explanation comes from 出典: フリー百科事典"ウィキペディア"

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