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商品コード: S-voet-093 - 切手ベクハム及びカントナ Beckham & Cantona 完全なシート ー 小売価格 ¥700
s_voet_093.jpg
[娯楽、エンターテーメント;スポーツ、ゲーム、アニメ、漫画、ディズニー; entertaiment; sports, games, manga Previous Page | Index | Next Page]
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s_voet_093; Beckham & Cantona, ベッカムとカントーナ, complete sheet, シート
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デビッド・ロバート・ジョセフ・ベッカム OBE(David Robert Joseph Beckham, 1975年5月2日 - )は、イギリス(イングランド)のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(主に右サイドハーフ)。愛称は「貴公子」「Becks」。日本では、「ベッカム様」とも。妻は元スパイス・ガールズのヴィクトリア・ベッカム(ヴィクトリア・アダムス)。2006年には自身が強迫性障害であることをメディアに告白した。
多くの企業とスポンサー契約を交わし、幾多の広告・テレビコマーシャルにも出演。現在はブラジル代表のロナウジーニョに次ぐ、世界第二位のお金持ちサッカー選手である。ロンドン郊外に大邸宅を構えており、「ベッキンガム宮殿」と呼ばれている。
ベッカムの身体の各所には、妻や子供たちの名前がタトゥーとして刻まれている。 左腕には、インドのヒンディー語等の言語で使用されるデーヴァナーガリー文字で『VHIKTORIYA』と彫られている。 ヒンディー語にはCの音がないので変わりにKが用いられる。英単語の語尾のAがYAに変わるのはインド英語の特徴である。 VHIは明らかにスペル間違いである
複数の女性との不倫が囁かれることがあり、世界中のゴシップ紙の格好の標的となっている。
幼少の頃からマンチェスター・ユナイテッドの試合を必ずと言っていいほど正装で観戦し、かなりの敬意を表していた。また、欧州遠征で日本代表と対戦したときはジーコ監督(当時)に「小さい頃からファンだった」と試合前に正装をして挨拶に行ったこともある。
イングランド代表として100試合出場を目標としている。
目次
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1 略歴
2 プレイスタイル
3 「ベッカム様」
4 その他
5 所属チーム
6 関連項目

略歴

父の影響から、幼少のころよりイングランドの名門マンチェスター・ユナイテッド(以下、マンU)の大ファンであった。しかし祖父はトッテナム・ホットスパーの大ファンだったため、父と祖父を両方喜ばせるため、下半身はトッテナムのショーツ、上半身はマンUのTシャツを身に着けていた。
少年期に憧れていたプレイヤーはブライアン・ロブソン。
1986年、11歳でマンUのサッカースクールに入学。
一時期、トッテナムのユースに所属するも、14歳の誕生日である1989年5月2日にマンUに加入する。
1991年、16歳のときにマンUと練習生契約。ユースで実績を積み、1993年1月23日にアレックス・ファーガソン監督の希望によりプロ契約。
2部のプレストン・ノースエンドにレンタルに出され、1993年4月2日プレミアデビュー。
1996年9月1日 イングランド代表デビュー。(モルドバ戦)
1997年、エリック・カントナの後を受けマンUのエースの証、「背番号7」を背負う。
1998年、フランスワールドカップに出場。決勝トーナメント1回戦・対アルゼンチン代表戦において、シメオネのタックルで倒された際に報復行為をはたらき一発退場。チームも敗退し、大きな批判を受ける(「10人の勇者とひとりの愚か者」)。
98-99シーズンのマンUの3冠(FAプレミアリーグ、FAカップ、UEFAチャンピオンズリーグ)達成に主力選手として貢献。
1999年5月、女性アイドルグループ、スパイス・ガールズのヴィクトリア・アダムズと結婚。
2000年11月よりイングランド代表キャプテンを務める。
2002年、日韓ワールドカップに出場。直前の親善試合で足の甲を骨折し本調子ではなかったものの、得意のクロスとプレイスキックで観客を魅了。チームをベスト8に導いた。地元開催のコモンウェルスゲームズ開会式で難病の少女と共に最終バトンランナーを勤めた。
2003年、マンU監督・アレックス・ファーガソンとの確執から、6月にスペインのレアル・マドリードへ移籍。背番号は23。しかし彼のマスコミに対する振る舞いは実にスマートである。
2006年、FIFAワールドカップ ドイツ大会に、イングランド代表キャプテンとして出場を果たす。1ゴール1アシストの活躍であったが、準々決勝でポルトガルに敗れ、前大会のベスト8を上回る結果は残せなかった。敗退後の会見でサッカーイングランド代表の主将から退くことを発表した。ちなみにイングランド代表からは引退しない。
同年8月、前監督エリクソンの後任として代表監督に就任したスティーブ・マクラーレンの下、新体制初のメンバー発表でベッカムは代表メンバーの選考から漏れる。若手の台頭や世代交代の波などの影響はあるが、長年イングランド代表を主将として支えてきたベッカムの落選は、イングランド中で話題となる。これを受けてベッカムが代表引退を発表したとマスコミで報じられたが、本人に代表引退の意思はなく、今後も召集されさえすれば代表に参加することを表明している。

プレイスタイル

イングランドが世界に誇るスーパースター。右足で蹴る、「inch perfect」と称される正確無比なクロスボールを得意とし、ゴールキーパーが触れることすら出来ないコースにカーブを描いて放たれるロングシュートは、時に「残忍なロングシュート」と形容される。また、世界屈指のプレイスキッカーとしても知られ、「黄金の右足」と呼ばれる右足は正確無比。2002年日韓ワールドカップ出場を決定づけたフリーキックでのゴールはイングランド代表の歴史に残る名場面である。
イングランド代表はベッカム以外にもチェルシーのフランク・ランパードやリヴァプールのスティーブン・ジェラードといったフリーキックのうまい選手がいるが、コーナーキックも含めて彼らが蹴るのはベッカム欠場時である(但し、最近ベッカムがペナルティーキックを失敗することが多くなったので、代わりにランパードが蹴っている)。
マンチェスター・ユナイテッド時は、右サイドでプレイし正確なクロスを上げチャンスを演出していた。一番得意とするフリーキックでは独特な姿勢から放たれる、スライダーぎみに急激に曲がるボールがゴールマウスに吸い込まれていった。レアル・マドリードでもこれは健在で、止まったボールを蹴らせたら世界一なのは言うまでもない。
次に移籍したレアル・マドリードではロナウド、ラウール、ロビーニョ、など攻撃のタレントは豊富だが守備について不安がある為、なかなか前に上がれないのが現状だ。そのため中盤の少し下がり気味の位置でプレイすることが多い。だが、マンチェスター・ユナイテッド時に多かった右からのクロスに加え、マドリーでは縦の長いロングボールを多用しており攻撃の幅が広がっている。さらにその正確無比なパスで仲間にピンポイントでボールを渡す。

「ベッカム様」

2002年W杯以降、持ち前の甘いマスクで日本の女性たちから絶大な人気を獲得し、付いたアダ名が「ベッカム様」。
ボーダフォン、ペプシ・コーラ、アディダス、東京ビューティーセンター (TBC)、明治製菓、リニューカーなどのテレビCM出演でもお馴染みとなった。彼が来日する際には空港に多くのファンが殺到し、“ベッカム様フィーバー”を引き起こす。
2002年日韓ワールドカップの際にベッカムがしていたヘアースタイル(ソフトモヒカン)が「ベッカムヘアー」と称され人気に。
明治製菓のバレンタインデーイベントで、チョコレート製の巨大ベッカム像が作られた。
などのエピソードもある。
やべっち寿司にも出演したことがあり、彼が座った席は赤い座布団が縫いつけられている。
また、「SMAP×SMAP(フジテレビ系)の、ビストロSMAP」では、レアル・マドリードの同僚のグティと出演している。また、兵庫県の淡路島に滞在していた事もあり、神戸近郊によく出没していた。神戸市にある神戸大丸百貨店で閉店後に店舗を貸しきり、買い物をした事は記憶に新しい。

その他

プレミアシップ発足後、マンチェスター・ユナイテッド(プレミアシップ優勝 8回)をはじめ、多くのタイトル獲得に(特に1998年のフランスW杯での失態以降は)貢献した。しかし、アレックス・ファーガソンとの確執が露呈し試合でもスタメン出場の機会が減り始めたため、2003-04シーズンからレアル・マドリードに移籍した。この移籍の直後、マンチェスター・ユナイテッドはクリスティアーノ・ロナウドを獲得し、背番号7は彼がつけている。しかし、本人はインタビューにて「僕がイングランドに帰るとしたら、マンチェスター・ユナイテッドにしか行くつもりはないし、親父(ファーガソン)のことは今でも尊敬している」と語っている。
なお、マンチェスター・ユナイテッド在籍最後の2002-03シーズンはプレミアシップ優勝を果たしているが、ベッカム移籍後のマンチェスター・ユナイテッドは2002-03以来、FAカップ、リーグカップのタイトルは獲得しているが、リーグ優勝から離れている。また、現在所属するレアル・マドリードも2002-03のリーグ優勝以来3シーズン連続で無冠に終わっている。
主に右サイドのMFとしてプレーしているが、本人はセンターハーフを好んでいる。
また、その容姿からマーケティング面での貢献が非常に高く、レアル・マドリードは彼を獲得するために用意した約46億円ともいわれる移籍金を、彼のユニフォームの売上代金のみで取り戻し、さらに利益を得たとも言われる。
2003年、アディダスのラグビーCMで、ラグビー・イングランド代表、スタンドオフのジョニー・ウィルキンソンと競演。持ち前のキックセンスで、ラグビーのゴールキックも見事に決める。 ちなみに、ジョニー・ウィルキンソンは、「ラグビー界のベッカム」と言われている。
日本に限った話であるが、ヨーロッパ出身で、容姿の優れたスポーツ選手を「○○界のベッカム」と呼ぶことがある(例.上記のジョニー