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[TO ALL JAPAN, 全日本え:
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[JAPANESE ART;
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k_jash_005; Japanese painters,
日本画家, complete set, セット
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日本万国博覧会(にっぽんばんこくはくらんかい)は、大阪府吹田市の千里丘陵(約350ヘクタール)で、183日間の会期(1970年3月15日 - 9月13日)で行われた日本で最初の国際博覧会。別名:大阪万博、EXPO'70。主催は、財団法人日本万国博覧会協会(当時、現在の独立行政法人日本万国博覧会記念機構)。
「バンパク」と親しまれ、「人類の進歩と調和」をテーマとし、日本を含む77カ国と四つの国際機関が参加した。総入場者数は、6421万8770人と万博史上最多。さらに万博史上初めて黒字となった。東京オリンピック(1964年)以来の国家的イベントであり、高度経済成長を成し遂げ、アメリカに次ぐ経済大国となった日本のシンボル的な意義をもった(現在では、人気パビリオンでの数時間の行列など「大量の人による混雑」が伝えられており、特にアポロ11号が持ち帰った「月の石」を展示したアメリカ館の行列は延々続き、途中であきらめて他の館へ行く人も多かった。またその異常な混雑ぶりから、一部では万博のテーマをもじって『人類の辛抱と長蛇』と揶揄されたという)。愛称の「万博(バンパク)」は、この博覧会の正式名称の「万国博覧会」を略したものだが、その後の国際博覧会の愛称にも引き継がれている(科学万博・花の万博・愛知万博)。
太陽の塔
目次
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1 館・展示物
2 万博に登場し、その後普及したもの
3 万博で登場したが必ずしも普及していないもの
4 演出者
5 記念発行物
6 テーマソング
6.1 豆知識
6.2 その他のテーマソング
7 万博が舞台、もしくは関係の深い映画・ドラマ・アニメ・小説
8 会場内・会場への交通
9 博覧会閉幕後
10 関連項目
11 外部リンク
館・展示物
テーマ館の一部として岡本太郎意匠による「太陽の塔」が作られた。現在も残され、万博記念公園のシンボルとなっている。
シンボルタワーの「エキスポタワー[1]」は、閉幕後も残されたが、老朽化により2002年から2003年にかけて撤去工事が行われ現在はなくなっている。現在、残されているパビリオンとしては、他に鉄鋼館[2]がある。
アメリカ館ではアポロ計画で持ち帰られた月の石が展示され、話題となる。(1969年、アポロ11号のお土産)
民間企業のパビリオンとしては、三菱未来館が人気を集めた。
松下館で展示されたタイムカプセルは当時の各種物品を詰め、同じものが二つ大阪城公園に埋められている。一つは5000年後の6970年に開封予定。もう一つは内容物の状態確認のため、2000年以降100年ごとに開封される事になっており、2000年に当初予定通り掘り出して最初の開封が行われた。
オーストラリア館は閉幕後、三重県四日市市に移築され、オーストラリア記念館となっている。同様に、スカンジナビア館も北海道石狩市(当時は石狩町)に移築された(現在の藤女子大学花川キャンパスの辺りで、付近のバス停にも「スカンジナビア館」と表記されていた)が、所有者の倒産に伴い数年で閉鎖され、1980年代前半には解体されたと思われる。
万博に登場し、その後普及したもの
動く歩道
缶コーヒー(UCC上島珈琲)
エアドーム(アメリカ館、芙蓉グループパビリオン)
ファーストフードチェーン(ケンタッキーフライドチキン、ドムドムバーガー)
ファミリーレストラン(アメリカゾーンに外国店扱いでロイヤルがステーキハウスを出店、この実績がのちにロイヤルホストへとつながる)
コーヒー味のソフトクリーム(エチオピア館)
甘味料での味付け、及びコーンスターチ・ゼラチン・寒天などによるババロア状加工を一切行なっていないヨーグルト(ブルガリア館)
ワイアレスホン(現在の携帯電話)
人間洗濯機(サンヨー館)(のちの身体障害者用自動洗浄浴槽)
アストロラマ(みどり館)(360度全天周スクリーン映像。以後の各博覧会で見られた全天周映像やオムニマックスシアター等、他、デジタル映像式プラネタリウム投影機の先駆け)
万博で登場したが必ずしも普及していないもの
国鉄式浮上式リニアモーターカー(日本館、国鉄)
JR(国鉄)方式(JR式マグレブ)以外は実用化されたものがある。鉄輪式(非浮上式)は各地の地下鉄で、浮上式で低速型HSSTは愛知県のリニモで、超高速型トランスラピッドは上海リニアモーターカーで実用化されている。
空中ビュッフェ(会場各所)[3]
ファクシミリ配信型の新聞
テレビ電話(第三世代携帯電話で徐々に浸透しつつある)
電気自動車 (ダイハツ工業)
現在、航続距離の問題などからゴルフカートやフォークリフトなどの利用に限られている。しかし、ハイブリッド車・燃料電池車の開発には大いに貢献している。、
演出者
当時の首相は長期政権の佐藤栄作(1964-1972年総理大臣)。万博協会の会長が石坂泰三、事務総長が鈴木俊一(のちの東京都知事)。万博会場の総合設計を行ったのが建築家の丹下健三であった。(鈴木と丹下のつながりは新東京都庁舎にも続いた)
記念発行物
記念貨幣(100円白銅貨)
記念切手
15+5円・50+10円付加金付きが1969年3月15日発行された。
7円・15円・50円の三種類が1970年3月14日、1970年6月15日の二度にわたり発行された。
記念貨幣
100円白銅貨が1970年3月10日(7月9日に追加発行)に発行された。
テーマソング
世界の国からこんにちは(作詞:島田陽子、作曲:中村八大)
1967年発売。三波春夫・坂本九・吉永小百合・山本リンダ・叶修二・弘田三枝子・西郷輝彦・ボニージャックスの競作で発売され、総売上は300万枚を超えた。
豆知識
1968年のNHK紅白歌合戦では坂本九が歌唱した。
てなもんや三度笠(朝日放送)では、主役のあんかけの時次郎(藤田まこと)や珍念(白木みのる)などが歌唱した。
万博のタイムカプセルに収められているのは吉永小百合盤。
ボニージャックス盤のB面は石川進の「オバQ万博へ行く」だった。
「オレたちひょうきん族」で「タケちゃんマン」(ビートたけし)の敵役「なんですかマン」(明石家さんま)のテーマソングとして替え歌が歌われた。
1990年、B.B.クイーンズがアルバム「We are B.B.クイーンズ」でカバーしている。
1990年、任天堂のスーパーファミコンの新発売のCM時では替え歌が歌われていた。
2005年、愛・地球博の開催に伴い三波春夫の息子である俳優の三波豊和が世界の国からこんにちわ2005としてカバ-してシングル発売した。
その他のテーマソング
万国博音頭(作詞:三宅立美、補作詞:西沢爽、作曲:古賀政男)
1966年発売。歌手は村田英雄。この曲は競作ではなかった。
万博が舞台、もしくは関係の深い映画・ドラマ・アニメ・小説
開催直前、「ハクション大魔王」の下記回に舞台として登場している(共に1970年(昭和45年)2月8日に放映)。
第90話「世界の皆さん 今日わ の話」
第91話「ハクション 魔法パビリオン の話」
テレビ「サザエさん(フジテレビ)(民間パビリオンでは「東芝IHI館」を訪れている。)
怪獣映画「ガメラ対大魔獣ジャイガー」
アニメ映画「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」
浦沢直樹「20世紀少年」
重松清「トワイライト」
山田洋次監督作品「家族」
谷口千吉監督作品「日本万国博」 日本万国博覧会の公式記録映画(翌1971年公開)
セルジオ・メンデス「ライブ・アット Expo`70」アルバム(会場でのライブアルバム)
The above explanation comes from 出典: フリー百科事典"ウィキペディア"