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[HOLLAND, オランダ;
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トップスポーツ スポーツマン, front, フロント(片面のみ)
サッカーの世界大会である第10回FIFAワールドカップは1974年に西ドイツ(現・ドイツ)で開催された。優勝国は西ドイツでオランダを2対1で下した。1954年以来の西ドイツ2度目の優勝である。
この第10回記念大会で初めて現在でも使われているFIFAワールドカップトロフィーが、優勝国に手渡された。それ以前に使われていたジュールリメ杯は、1970年大会でブラジルが3度目の優勝を遂げたため、ブラジルにて永久に保管されることとなっており、新しいトロフィーが今後の大会のために準備されたのである。また、この大会から開幕戦は開催国ではなく、前回優勝国が出場することになった。これは2002年の日韓大会まで続いた。ドイツの地で2度目の開催となる2006年からは、前回優勝国の予選免除特権がなくなったため、再び開催国が開幕戦に出場することとなる。
1970年大会から大会の方式が変更された。16チームが地区予選を突破して招待され、一次リーグは4チームずつ4つのグループに分けられた。各グループの1位と2位チームが二次リーグに進出し、4チームずつ2グループに分けられた。各グループの1位が決勝戦を行い、各グループの2位チームが3位決定戦を行った。
一次リーグでは、ハンブルグの試合会場で東ドイツ対西ドイツ戦が行われた。両国が一次リーグ同組に入ることが決まった瞬間、組合せ抽選会場には大きなどよめきが起こったという。東西ドイツが対戦した唯一の試合であり、大方の予想を覆して東ドイツが1対0で勝利したが、この時ハンブルクのフォルクスパルク・スタディオンは沈黙に包まれた。しかし東ドイツは二次リーグでグループ3位で終わり、再度の対決は無かった。前回優勝国のブラジルは、ペレが代表引退した影響でチーム力が落ち、一次リーグも何とか通過する有様だった。二次リーグでもオランダに完敗し、三位決定戦でもポーランドに敗れる。前回優勝の面影がほとんどないブラジルであったが、二次リーグでの東ドイツ戦でロベルト・リベリーノがマジックのようなFKを決めたのが唯一の見せ場だった。西ドイツは、フランツ・ベッケンバウアーやゲルト・ミュラーといった今でも語り継がれるスター選手をそろえていた。ミュラーは決勝戦で決勝点を挙げ、西ドイツ代表の優勝に貢献した。オランダ代表チームは、準優勝(2位)に終わったもののヨハン・クライフを中心としたトータルフットボールで、全世界を魅了した。オランダは決勝戦で、わずか開始1分、相手西ドイツにボールに触らせない間にPKを獲得したが、前半の間に逆転されてからはトータルフットボールを捨て、昔ながらのロングボールサッカーになってしまったのは残念であった。
ポーランド代表のグジェゴシ・ラトーが7得点を挙げ、得点王となった。
参加国 : 16ヶ国
開催期間 : 1974年6月13日-1974年7月7日
優勝 : 西ドイツ
準優勝 : オランダ
3位 : ポーランド
4位 : ブラジル
得点王 : 7得点
グジェゴシ・ラトー (ポーランド)
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出典: フリー百科事典"ウィキペディア"