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一般に長城を作ったのは秦の始皇帝だと認識されているが、写真のような、いわゆる 「万里の長城 」は明代に作られたものである。戦国時代から趙などは北の異民族に備えるために長城を建設していた。また北に備えるだけではなく戦国七雄の国境間にも長城が作られていた。始皇帝は中華を統一した後に中国の中にある長城は取り壊し、北に作られた長城を繋げて大長城としたのである。この時の長城は土製であり、馬や人が乗り越えられなければ良いということで、それほど高い城壁ではなかったという。また現在の物よりかなり北に位置し、その東端は朝鮮半島に及んだ。
前漢の武帝は匈奴を追って領土を拡張したので、長城は西の玉門関まで拡張された。その後の五胡十六国時代に異民族の力が強くなり、北魏は南よりの現在の線に新しく長城を築いた。
しかし、後の北方民族・契丹の 「遼 」、女真の「金」、モンゴル人の「元」は、難なく長城を超えて侵入し、中国(華北)は3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれた。元を追い落として明が立てられると、元の再来に備えるために長城を強化し、ようやく現在の形になった。よく「農耕民族と遊牧民族の境界線」と言われるが、実際は草原の中に建っている。中国人の北方民族に対する恐れと憎しみが伺えるが、モンゴル系民族は明代にも長城を超えて侵入を繰り返し、明末には満州(女真)が再び長城を超えて明は滅び、「清」の成立に至った。
このような歴史から、「金をかけても役に立たないもの 」の代表格として、引き合いに出されることとなる(世界三大馬鹿などに数えられた)。ただし万里の長城は防衛のための城としての意味よりも、国境線の主張の意味合いが強いとも考えられている。
現在、中国政府は重要な歴史的文化財として保護し、世界遺産にも登録されている。世界有数の観光名所としても名高いが、地元住民が家の材料にする目的で長城のレンガを持ち去り、破壊が進んでいる。また、長城がダム工事により一部沈んだりもしている。長城周辺の甘粛省や陝西省は中国でもっとも貧しい地域の一つで、当局は対策に頭を悩ませている。
2006年4月に中国の学術団体「中国長城学会」の調査によると、万里の長城が有効保存されている地域は全体に2割以下で、一部現存している地域も3割であり、残り5割以上は姿を消しているとの報告がされた。
慣用句
日本に於いて、1989年の証券取引法改正でインサイダー取引への規制が強化されたことを受け、企業の非公開情報を知り得る立場にいる引受部門と、投資家に銘柄選定のアドバイスをする営業部門の間に「情報の壁」をつくるため、両部門を異なる場所に離す、管理体制を徹底するなどの対策を施すとした証券界の自主ルールを設定。この自主規制のことを「チャイニーズウォール(万里の長城の意)」という。
登録基準
この世界遺産は、文化遺産の世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
(i) 人類の創造的天才の傑作を表現するもの。
(ii) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、町並み計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
(iii) 現存する、または、消滅した文化的伝統、または、文明の、唯一の、または少なくとも稀な証拠となるもの。
(iv) 人類の歴史上重要な時代を例証する、ある形式の建造物、建築物群、技術の集積、または景観の顕著な例。
(vi) 顕著な普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。
北京付近で訪問できる場所の一覧
八達嶺長城(もっとも有名な見学地。ツアーのほか北京市内からの路線バスも頻繁にある。)
慕田峪長城
金山嶺長城(慕田峪と司馬台の間にあり、司馬台とお互いに徒歩で行き来できる。)
司馬台長城(険しい山の上に築かれている。あえてあまり修復されていない。)
居庸関長城(八達嶺長城のすぐ北京よりにある。近年修復・公開された。)
蟠龍山長城(あえて全く修復せずに公開された長城。崩れかかった長城の上に歩道だけを整備して公開された。)